読トリン活動日誌

京大読トリンの例会活動内容を記録します。

【感想文】いしいしんじ『みずうみ』

前回の例会で石田君がよく分からないと言っていて興味を持ったので借りて読んでみました。

みずうみ

みずうみ


本書は三章からなる構成で、それぞれに違った舞台が設定されている。といっても全く異なるわけではなくて、共通するアイテムや人物が前章の面影のように登場する。

この三章における話の質の違いを考えてみると、空間的時間的な確かさの度合いが一つ考えられる。一章の「村」は随分と原始的な生活をしているが、具体的な日付や地名が文章中に出てくることはなく、これがいつ、そしてどこの話であるかを知ることができない。二章では、一転して今風か少し前の街が舞台になるが、主人公であるタクシーの運転手は新聞記事のなかの生と死にまつわる出来事、そしてその日付に妄執的である。ただし、月日、曜日については書かれているが年は省かれているかあるいは相対的な記述にとどまっている。ブルターニュの海辺で発見された白骨死体の死亡年代についての記事が、数少ない具体的な年代を教えてくれる。古代アテナイの詩人アイスキュロスも登場し、現実の歴史とのつながりを感じさせる。三章では、これまでで最も確実な地名、そして確実な気温のもとで話が進んでいく。「日本『という』国」「ニューヨーク『という』町」「イーストリバー『と呼ばれる』海峡」など、常識ほどにも意識されてない言葉からそうでない言葉まで、噛んで含めるような書き方がなされている。二章で稀だった歴史的記述は三章では増加しているが、相変わらず登場人物たちの年月日は記述されることに抵抗をしているかのようである。

このような構造的な違いにもかかわらず、登場人物達の異様な性質は章を隔てても変わらず引き継がれている。つまり、彼らは、口から、ペニスから、体中から透明な水を吐き出し続け、帳のこちらと向こうを往還し、異世界とのつながりを持ち、前触れを感じ取り、深い眠りを眠り、やがて水が枯れると普通の人間になり、また水が復活したりする。彼らの体は現実の幾何学的な枠を超えてはみだし膨張し、タイムスリップしたり、エントロピーの増大し尽くした最果ての世界に行き着いたり、空からニューヨークを見下ろしたりする。

この本において水はただ単に生と死の象徴であるというだけでなく、もっと広く深く人の世界を優しく包み込むもの、という意味合いが込められているように感じる。水の中に沈んで溶け合ってしまった人たちは、生と死、こちらとあちら、今と昔、自と他の区別もない。それだから見たことのない景色に懐かしさを覚えたり、宝くじを当てたり、話を感覚として瞬時に共有したりということもあるのだろう。

水が水そのものの集まりとして存在することのできるみずうみがあった村の人々は、自らの生を、古代から連綿と続いてきた生を、そしてこれからも果てしなく続いていく生を彼らの奥深いところで確かめることができた。誰よりも深い眠りを眠り続けるひとたちを村の誰もが見ることができたし、よそものの商人でさえみずうみに同調することができた。それは今では失われてしまった共同体のあり方かもしれない。しかし、時間に普遍的であったこの生き方は、それでもやはり人々の中に受け継がれていく。

三章に登場する慎二、園子、ダニエル、ボニーのうち、園子を除く3人はそれぞれがみずうみの神秘的な力によってある場所に導かれていく。ただ一人園子だけが、死産という悲劇に遭遇する。なぜ園子は死産を経験しなければならなかったのだろうか。その理由は、村のみずうみが枯れてしまったことと同じように、どんなに考えても見つかるものではなく、予め決まっていたことであり、そのまま受け止めなければならないことなのかもしれない。そして水は、その人には窺い知れない深い営みを通して園子をいやしてくれる存在なのではないだろうか。死産が絶望ではないように、物語の最後で新しく生まれてきた赤ん坊も単なる希望ではなく、気の遠くなるような歴史の綾を受け継ぐ存在である。ここでまた、歴史的記述に注意すると、それが行きつ戻りつしながらも、徐々に、そして明確に私達を目掛けて進んできていることが分かる。この作品はその意味で現代の小説と言えるだろう。そして、今この作品を読むことの意味もそこに求めることができるだろう。

作中に登場する、「発明家気質の音楽家」とは Bruce Haack のことであり、過剰に物事を確かめようとする三章において名前が出てこないのはなんとなく異質なことのように思える。ちなみに Bruce Haack に気づいたのは石田君で、そのことを聞いていなかったらたぶん何も考えずに素通りしてたかもしれない。Bruce Haack はほとんど聴いてないのでここらへんの記述もあんまり意味が分かってないのだが、単に作者の趣味かもしれない。どうやら慎二とか園子とかいうのは作者とその奥さんがモデルになっているようであり、奥さんの趣味なのかもしれない。(樹下)

イメージソング


Hintermass "Are You Watching" - YouTube

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